【書籍紹介】誰も知らない世界のことわざ
本記事は以下の書籍の紹介兼読書感想文です。
盛大なネタバレを含みますので、記事閲覧の際はご注意願います。
その中で、個人的に気にいったことわざをご紹介。
フォームは
「ことわざ」:言語
雑感:
といった感じで。はい。
では、スタート。
ことわざ
「ザワークラフトの中で自転車をこぐ。」:フランス語
雑感:まず、ザワークラフトって何ぞ。
ザワークラフトというのは酢漬けキャベツのことで、その中で自転車をこぐことから、もう一歩も先へ進めず、その見込みもないことを表している。
ジャガイモの袋に入って、日々ジャガイモを食べて過ごし、日々ジャガイモの壁を開拓し、最期は絶望しながらジャガイモで窒息死だったか圧死だったかをした物語を思い出したよ。
このことわざにはちゃんとした由来があるが、ここでは割愛。次。
「カラスが飛び立ち、梨が落ちる。」:韓国語
雑感:いかにも関係がありそうな事柄の間に、必ずしも因果関係があるわけではないことを表している。確かに、私たちは意味のない情報から意味のパターンを見出そうとしてしまうことがあるように思う。
カラスが飛んだから梨が落ちたのか、梨が落ちたからカラスが飛んだのか。
二者の間に関係はないのである。ハッとさせられたことわざ。
雑感:これは意味が予想しやすいことわざだと思う。
そう、日本のことわざでいうところの「馬の耳に念仏」「猫に小判」「豚に真珠」。
価値を理解しない、あるいはそれを得る必要がないものにそれを与えることの無意味さを表している。
ロバやスポンジケーキの喩えから、その土地柄や文化的背景が垣間見える。
日本以外でも同じような言葉が歩いているのは面白いね。
「あなたは、私のオレンジの片割れ。」:スペイン語
雑感:もうね、ただただ詩的な言い回しに脱帽したよ。
「オレンジの片割れ」は誰かにとっての魂のパートナー、生涯愛する人の喩え。
情熱の国といわれるスペインらしいことわざだと思う。
1つのオレンジは実った時から1つだなんて野暮なことを考えてはいけない。
「ラディッシュを下から見る。」:ドイツ語
雑感:ラディッシュは二十日大根のこと。赤くて小さいやつね。
埋まっているラディッシュをしたから見るということはつまり死を意味する。
日常的な喩えでも意味は壮大。「死」を謳った表現は数多くある。そのうちの1つ。
確かに、埋葬されたら植物の根っこしか見えない。
でも、日本の場合は灰になるから、風に乗って世界中の花が見られるよ。
火葬万歳!
「テーブルクロスには小さすぎ、ナプキンには大きすぎる。」:オランダ語
雑感:中途半端な様子をうまく喩えていることわざ。
日常のあらゆる場面で使えると思う。例えば、
「1時間の休暇では間に合わないけど、2時間の休暇では時間を持て余す。」
これは先日の私である。
「ブタの背中に乗っている。」:アイルランド語
雑感:第一に、ブタって人間が乗れるのかなっておもt
実際ブタに乗るのではなく、幸せで、人生に成功している意味だそう。
農業の歴史の中で、人間はブタと生活を共にしてきた。その関係が順風満帆に続いているのは、なるほど確かに無上の幸福かもしれない。
豪華客船に乗っている幸福感とはまた違う、深い幸福感があるね。
「真夏の太陽にさらされたバケツいっぱいのエビのように。」:オーストラリア英語
雑感:暑苦しく窮屈で耐え難い様子を喩えたものかと思ったんだ。
実際は、ある人がその場を急いで立ち去ろうとする際に使う表現。
「ねえ、ここは暑すぎるよ。腐っちゃうから失礼するね。」といった具合。
喩えのインパクトが秀逸。
「目から遠ざかれば、心からも。」:ヘブライ語
雑感:Out of sight , Out of mind.
私は「会えない時間が愛を育てる」のことわざの方を信じるよ。
「目が私についていった。」:マルタ語
雑感:眠ってしまった様子を表している。
眠れないときは大体脳が一人で騒いでいるので、脳も道連れにしていただきたい。
「ある日はハチミツ、ある日はタマネギ。」:アラビア語
雑感:数ある言語の中でもミミズが踊っているようにしか見えないアラビア語。
日本語に訳してみると、こんな可愛らしいことわざが。
日本でいうところの「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」である。これは故事成語だけど。
楽しい日があれば、そうでない日もある。大切なことは、その時々に全てを悟らないこと!
「水を持ってきてくれる人は、そのいれものをこわす人でもある。」:ガー語
雑感:ガーナの政府公認語。
このことわざが意味するのは、「助言することがないときや、手伝うつもりがないときは、何かを成し遂げようと努力して、その最中にうっかりミスをしてしまった人を批判すべきではない」ということ。
聞かせたい人がいる人も多いかもしれない。
もっと優しくなってもいいんだよ、社会。
「ガレージにいるタコのような気分。」:スペイン語
雑感:場違いなところにいて困惑しているさまを喩えた表現。
8本の足を持つタコも、ガレージの中では狼狽えることしかできない。
場違いに感じた時「いやー、ガレージにいるタコの気分ですよ。」なんて言ったら余計に居場所がなくなりそうではある。
「青の問いに、緑の答えを与える。」:チベット語
雑感:見当違いの回答をすること。
SNSやネット上で日々行われている論争なんかで多く見かける「論点のズレ」
他に、政治家の発言や謝罪会見でも散見されるね。
回答なのか意見なのか?私も日常的に気を付けないと。
「私の別荘は、ずっと外れにある。」:ウクライナ語
雑感:今起きていることを私は知らないし、関係もないという意味。
物事の外に自分を置いていることが伝わってくる表現。
そうすることによっても、誰かに迷惑をかけず幸せでいられるなら理想的だね。
「ブドウはお互いを見ながら熟す。」:トルコ語
雑感:次第に仲間同士で似るようになり、まわりの人から学び成長していく様子を喩えている。
「あなたは、最も一緒に過ごす時間の長い5人を平均したような存在だ」
確かに、長い時間一緒にいる人と部分的に似ることはあると思う…けど、5人の平均が自分になる考えると途端にあやふやになる自己像。
「一輪の花だけが春を作るのではない。」:アルーマニア語
雑感:たとえ重要そうに見えても、ひとつの現象だけでは全体を判断できないこと。
さっきの「ある日はハチミツ、ある日はタマネギ。」の意味を鋭くした表現だと思う。
一輪の花が咲いたからといって春が来たと喜ぶことも、一枚の葉が散って冬が来たと悲しむことも、同様に糠喜びであり杞憂であるかもしれない。一喜一憂することなかれ!
自分に言い聞かせたいよ。
感想
今回紹介した「誰も知らない世界のことわざ」からの引用と雑感でした。
本には他にも魅力的なことわざがたくさん紹介されているので、気になった方は上記のAmazonからどうぞ。
絵本のような絵とユーモアのある言葉たちが、世界の文化や地域的な特性を楽しく教えてくれます。
世界って広い…などと月並みな感想を抱く反面で、表現こそ違えど人間はどこにいても同じことを戒めるのだとも感じました。難しくも面白い。
ページを捲るたびに、自分の表現や語彙の乏しさと頭の固さを嘆きつつ異文化交流を楽しみました。
以上!